その翌日から、再びゾンは姿を消した。
彼が何をしているか気にならないわけではもちろんなかったが、心配するような相手でもなく、なんとなく自分が少し面白がっているような気がしてイッセイは苦笑した。本当に何か手掛かりを掴んでくるような気もするし、適当なことを言ってどこかで昼寝でもしているような気もする。
発端からして楽しんでいいようなものではないのは誰よりもイッセイがよくわかっていたのだが、ずいぶんと長い間息が詰まるような狭い部屋にいたのが、いつの間にかどこからか風が吹いているような気がするのだった。ゼラたちが住まうかの地は、どこまでも平地が続き乾いた風が吹きぬけていくという。あの男の周りにもそんな風が残っているのかもしれなかった。
ゾンは、この時期いくつかの裏の仕事を請け負っていた。
近年冒険者が訪れることも増えたため多少は見かけることも多くなったが、それでもこのクガネではアウラ・ゼラの男は目立ちすぎる。下手に聞き込みなどすればすぐに怪しまれるだろう。だが裏の仕事を請け負えば逆に比較的安全に危険な情報に近づけた。
ゾンの中では憶測があった。
得手不得手は多少あるものの、ゾンはほぼすべての武器に通じている。もちろん刀も手にしたことがあったが、その扱いはかなり特殊である。よく手入れされたものであれば怪我を負わすことは誰にでもできるが、いざ人を殺めようと思うと存外力が要る。剣の修行もしていないひ弱な少女が、油断した一般人が相手だとしても大人ふたりを相手にするのは難しいと思われた。
ふたつの可能性があると考えている。ひとつは、ほかにも殺しの協力者がいることだ。もうひとつは、何らかの力を借りて少女の力を増幅することだった。前者のほうが簡単だが、人ひとり居るだけでずいぶん多くの証拠が残る。現場を見ていないゾンにはイッセイの話からしか推測はできないが、状況からするとおそらく後者だと考えていた。
となると、いくつか調べるべき筋が想定できる。
ゾンは長くオサードを中心にして裏の仕事を続けていたが、何度か似たような事件に行き会ったことがある。おとなしい、あるいは力が弱いものが突然派手な殺しを行ったという話だ。その多くに共通するあるものがあった。
プルトー香と呼ばれる薬物である。
夢想花という花から作られるこの薬物は、人の神経に作用する興奮剤として裏社会ではそこそこ知られているものだ。服用すると、普段に比べ爆発的なパワーを発揮すると言われている。同時に心神喪失状態になることや凶暴さや残忍さがひどく増すことがあるため、しばしば意図した以上に凄惨な事件へと発展することがあった。
特に開発初期のものはその傾向が強く実戦向きではないとされていたが、子どもに使って要人暗殺をさせたり騒動を起こさせる例などもあった。煙草のようにして吸引する形が多いが、こういった目的のために飴や飲料状にしたものもあり、いずれも微かな花の芳香以外には証拠がほとんど残らなかった。
もちろんゾンが知る限りどの国でも禁じられた品である。それを裏で流通させている大元はエオルゼアのウルダハを中心とした組織だが、このひんがしでもそれを扱う組織はあるはずだ。
「……やはり密輸入が増えているな」
ゾンはいくつかの仕事の概要を得て、ひとりごちた。
内容や場所は様々だが、全体的に見て秘密裡に荷物を運ぶ仕事や怪しげな商人の警備などの口が以前よりも多くなっていた。
それには昨今のエオルゼアやオサードでの情勢の変化が大きく影響している。ガレマール帝国の脅威が薄れたために活動が活発になった組織も多く、またその帝国の支配力が弱まったために、元属州兵たちが秩序を保てずそのまま犯罪組織へ流れ込むことが増えているのだ。それに比例してそういった薬物の需要も増しているようだ。
どこの街にでも犯罪者はいるし、弱い犯罪者は強い犯罪者へと保護を求め組織は大きくなっていく。そのうちその保護元からがんじがらめにされて支配されるというのに、だ。ゾンにはその気持ちは理解できないが、そういうものであるということは知っている。
とはいえこのひんがしの国は長く鎖国しており、クガネが唯一の開かれた港だが警戒態勢も強く敷かれていてなかなか新規の組織は取りつくことができない状態だった。その警戒の中、どうしたら薬物の流れを調査できるかとゾンは考えていた。
―― 俺はなぜ、あの白角のために動いているのだ。
それは自分でも甚だ疑問であったが、腑に落ちるような答えは浮かんでこなかった。弟に再会してからというもの復讐の炎がなぜか揺らいでしまったのは確かで、それはゾン自身にとって心底許せないことであった。だが、無為な日々を過ごしその自問自答を繰り返すよりも何か動いていたほうが気が楽であるのかもしれない。
この一件が片付いたら、また元の自分へ戻ればよいとゾンは自分に言い聞かせた。
それで戻らないときは、そのまま死ね、とも。
ゾンが狙ったのはウルダハからの荷や人を運ぶ仕事であった。明らかに犯罪組織絡みのものは避けたが、裏ルートで回ってくるからには単なる土産物などでないだろうと思われた。だが、ゾンは積み荷や依頼人の素性には興味がない。
この日乗っていた船も、そういった類の”いささか怪しげな連中”が乗った船であった。彼らの多くは、まだまだ海賊船も多い海域を通るため表向きは客人の護衛として雇われていた。
「お前、新顔だな」
その声に顔を向けると、いかにも荒くれ者といった風情の男が値踏みするような目でゾンを見ていた。雇い主の側だが、決して上位の存在ではない。ゾンは相手を一瞥すると、黙ったまま海へと目線を戻した。
「おいおい、随分な挨拶だな」
男がゾンの胸倉を掴もうとしたとき、傍らにいた小さな人影がゾンに代わって笑い含みで応えた。
「愛想は最悪だが腕は立つ。おしゃべりの相手が欲しいわけじゃないんだろ、旦那」
「そりゃそうだが」
「安心しな、ここじゃ新人だが俺の古い知り合いだ」
そのミコッテ族の男は周囲に比べるとかなり小柄に見えるが複数の武器の扱いに優れた人物であった。ゾンの古い知人のひとりであるが、おそらくこの船員にも一目置かれているのだろう。
「ぺらぺら喋らないやつのほうが信頼はおけるよ」
そう言われると相手は納得したようなしないような顔のまま小さく肩をすくめて引き下がり、微かなゾンの礼にミコッテの男は耳だけで応えた。
ゾンは確かに話すことは好きでも得手でもないが、黙っている理由はそれだけというわけではない。実際、こういった仕事で下手に会話に花を咲かせると、知る必要のないことを知ってしまうことも多い。交渉術に長けたものであればそれもまた手管ではあるが、ゾンは自分がそういうタイプではないことは十分に理解していた。
なので、ゾンがこの船に乗ったのはウルダハとクガネの貿易情報を得るためであるが、自分からは動かずただ黙々と職務を果たしながら船員たちの動向を窺っていた。
普段からむすりとしているのも航海の間に周知され、しばらくするとゾンが独り端で杯を傾けていてもそれを気にするものはいなくなった。
「リムサの……の子、絶対俺に気が……」
「……な品は、東アル……ド商会が強くて……やってられねえ」
「ドマ奪還で……最近は陸路も……」
「……ほんと……女の子かと……ヴィエラの男ってやつぁ……」
「井ノ国のお宝は……犬が……」
大抵はどこの酒場がよかっただのカードゲームで買った負けただのというレベルの他愛ない話だが、時折世間話のように情勢や裏社会の話題が出る。聞かれてまずいような話を談話室でする者はそうそういないが、何日も同じ船で顔を合わせている相手と酌み交わしながらとなると多少口が滑らかになる傾向はあった。
「アラクランも落ち目だな、一時期あんだけ荒稼ぎしてたが」
ついに関連のありそうな単語が耳に入り、ゾンは視線は手元の杯に合わせたまま意識だけをそちらへ集中させた。アラクランはウルダハでも有数の犯罪組織で、まさにプルトー香を広めたともいえる存在だった。
その一角ではそこそこ年季が入った男女がゲームボードを広げながら談笑しているようだ。
「ソムヌスもプルトーも需要は増えてるって話だがな」
「クガネでも欲しがる連中が増えたとかで、売りたくて躍起になってルート探してるやつぁいっぱいいるだろ」
「ってもクガネはガードがお堅いからねえ……長くやってるヒグモやハマシマみたいなとこ以外との取り引きは結構な博打じゃないの……よし、チェック」
「……チッ、またお前か」
勝敗のぼやきと歓声、コインと酒瓶が動く音が響きその話題は途切れたが、ゾンの頭にその名が記憶された。
―― ヒグモ、ハマシマ。
その名前を手に入れ探ってみると、ようやくそれらしき情報に行きついた。
ヒグモは緋蜘蛛と書き、イッセイの両親の出身であるシシュウ北部の国から発生したと思しき組織であるという。ハマシマはコウシュウの盗賊出身であるそうだから、おそらく緋蜘蛛のほうが関連がある可能性が高かった。
しかしいずれも、そういった組織があるとまでは調べられたものの、実際に何をしているのかということになると霞がかかったかのようにぼかされて具体的なことがわからない。わかったことといえば、ちょうどイッセイの家の事件があった年の前後に、シシュウ北部を中心に要人が多く病に倒れたという記録が残っているくらいだ。ゾンはそれが薬物を使った暗殺であったのではないかと見ているが、あくまでも憶測の範囲を出ない。
そして、少なくとも近年のクガネでは相当な少数精鋭で動いているらしく肝心の緋蜘蛛の構成員については一向にたどり着けなかった。
「……逆をたどるか。次はあいつの側からだ」
いつものように夜更けに宿の掃除や朝の準備を進めるイッセイの元に、何の前触れもなくゾンは現れた。挨拶すらせず、備品を磨いているその横に当然のような顔をして座る。
「お前の住んでいた場所は残ってるのか」
あまりにも唐突だがそれがまたこの男らしい気がして、イッセイは思わず笑ってしまいそうになった。堪えながら、その言葉に応え小さく首を振る。
「俺が戻ってきたころにはすっかり変わってしまっていて、今は倉庫になっている。あの頃世話になった人たちには誰にも会えずじまいだった」
「なんだ、火事で焼け落ちたか行政の追い出しでもあったのか」
「いや、聞いた話ではあの辺りの住人に新しい住まいと仕事を与えてくれた人がいて、みんな移って行ったそうだ。もともと訳ありや金のない連中が集まっていたし、あんな事件があったから離れたい連中も多かったのかもしれない」
ゾンは顎の鱗に指先で触れながら、思考した。イッセイが刑に服していたのはそこそこ長い年月だ。環境や住人たちが変わること自体は十分にあり得るが、みないなくなったというのが引っかかった。
「ではお前の家の知り合いはもう誰もいないのか?」
「長く会っていないが、妹の養子縁組みを世話してくれた人くらいだな」
それから少し言いにくそうに視線を落とした。
「正直に言えばクロガネの血縁者はクガネにいる。父の二番目の兄……俺の伯父に当たる人だ。だが父とは不仲だったようだし、俺は世間的には罪を犯した身だ。迷惑にしかならんと思い実際に会ったことは一度もないな」
刑期を終えた後も世間から隠れるようにして過ごしていたイッセイは、そこへは文字通り近づいたこともなかったが、父の異母兄がクロガネに店を構えていることは伝え聞いていた。皮肉な話だが、なかなかに繁盛しているとも。
「なるほど。シシュウ北部の出身者はこの街にも多いようだな」
このクガネは唯一の外国との接点であり、外国人が他の都市に入ることがまずできないのと同様に、ひんがしの国の民も自由に出入りができるわけではなった。特に荷物の持ち出しや持ち込みには非常に厳しい制限が課されている。しかしイッセイの父親が実家へと足を運んでいたように、なんだかんだと理由を付けて許可は下りているようだ。
「正確なところはわからないが、少なくはないと思う。例えば小金通りにあるサカエ屋、あそこもそうだな」
「サカエヅの家のサカエ屋か」
「そうだ。お前でも知っているか」
サカエ屋は古くはひんがし国内の各地の特産品を、そして今はこのクガネを基に国内外の様々な品を扱う貿易商だ。世界中の珍しい品をよく揃えるというので、シシュウの豪族たちにも最近評判の店であった。ひんがしの品を求める外国客にも知られつつある店だが、ゾンが知っているのはもちろん買い物に行ったからではない。あれ以来、こういった貿易商をいくつかマークしていたからだ。
「同郷の者がみんな知り合いというわけではない。だが、酔った父の言葉を信じるなら先代のクロガネ、つまり俺の祖父は随分サカエ屋に金を出していたらしい」
イッセイとしてはついでのように出した情報だが、ここでまたひとつの情報がゾンの中で繋がる。懇意にしていたのであれば、その家の者が出入りしていて秘密を話す可能性も高いだろう。
「先代、か。どんな人物だ」
「祖父は、大変厳しく公正で立派な人だったと人づてには聞いている。ただ、その反動なのか老境に入ってからできた若い妾とその子……まあ父だな。それを随分甘やかしてしまったとも……」
「とはいえ、金を無心しても寄こさなかったのだろう」
「それは家督が当代に譲られてからだな。生きているうちには、そのうち父のことを許してクガネに店を構えさせる話も出ていたらしい。だがその話が具体的にならないうちに祖父は流行り病で亡くなってしまったようだ」
「流行り病」
調べていたことは伏せ、ゾンはいかにも初耳であるかのようにオウム返しに呟いた。
「ああ。急速に心身が弱まり眠るように死んでしまうという奇病だとか……その病で国主を初め結構な人が死んで、当時国もとではかなり混乱があったと聞いている」
「なるほど……」
ゾンはもっともらしくうなずいた。貧しい領民ではなく健康状態も生活も満たされた権力者ばかりが死ぬとはまさに奇病だな、と心の中で揶揄するが、イッセイが知っているのは伝聞でしかないだろうからそこをつついても仕方がない。だが逆に言えば、そういう風に都合のいい情報を発信した源があるのだ。それに対しての納得であった。
クロガネ家が懇意にしていたという貿易商サカエヅ家が”黒”だとした場合。密輸したソムヌス香を使った要人の暗殺を行い、それに勘づいた厳格な当主も殺され、協力的な次代に家督が移る。その血縁者がおそらく家に寄った際に密輸や暗殺との関係を知り、実家と貿易商を強請って金を手に入れた。だが家庭の状況を利用してすぐに消される。
道筋は通ったように思われた。あとはその裏付けだ。
ゾンは別の話を切り出した。
「最近、クガネでも不審な事故や事件が増えていると別の客が話しているのを聞いた。そういう話をもっと知らないか」
「おい、立ち聞きなどするな……」
「馬鹿が。そんな甘いことを言ってる状況か」
こういった宿では、客の情報は決して探ってはいけない。どんなに怪しかろうと客として迎えた以上は大事に扱い、秘密は一切漏らさない。その信頼が第一なのだ。イッセイもそのことは重々知っていたから客の会話は聞かないように意識していたし、万が一耳に入ってもすぐに忘れるようにしていた。
客同士でもそうすべきではあると思うが、強いることはできないし今更ゾンを咎めたところで仕方がない。そして多少の禁を犯してでも、真実を知りたいと思った。
イッセイはふと、港の一件を思い出した。そう都合良く関連性があるだろうかとも思ったが、気になったことは話しておいたほうがよいだろうと思い直す。
「前に子どもが斬られる事件に行き会った……俺が見たのは少し街に入ったところだが、港から駆けてきたと言っていた」
それはちょうどゾンが弟の元を去りエオルゼアから船に乗り込んだ頃であった。ゾンが思うにこのイッセイという男は体格もよく力もありそうだが、自ら戦をするタイプではない。となればおそらく切り結んだわけではないだろう、そう思案しつつ。
「どんな連中か覚えているか」
「斬ったところは見ていないので確かなことは言えないが、何人かが逃げる姿を見た。侍や兵士という風情ではなかったと思う」
イッセイの言葉はたまに小競り合いを起こす異国の兵士や、目立ってどこかの家来衆というわけではないということを示している。であれば傭兵だろうとゾンは思った。クガネは中立的な場所であり自警団の力も強いが、決して諍いと無縁の地ではなかった。
そこまで言葉を紡いだところで、イッセイはふと思い立った。
「詳しい話はあの子に聞けばわかるかもしれない」
「あの子……? ああ、そのガキは生きてるのか」
イッセイは小さくうなずいた。
「エオルゼアから来たという人が治癒の術で助けてくれて一命を取り留めた」
エオルゼアから来た、という言葉を聞いてゾンは軽く眉間に皺を寄せたが、イッセイにはそれは嫌いな食べ物を出された子どもの表情のように見えた。
「それで、ガキはどこにいる」
「海賊になりたいと言うので心当たりを紹介した。正確には、そのエオルゼアからの客人が連れて行ってくれたんだが」
「なるほど。奴らのところか」
蛇の道は蛇。ゾンもクガネへ渡るには彼ら海賊衆の力を借りたくらいで、また裏稼業では多少は縁があり、知った顔がないわけでもない。義を知っている連中でもあり憎くは思っていなかったが群れを成して動く彼らがいまいち性に合わないのだった。とはいえ、彼らのところへ行ったのであれば、おそらく無事に過ごしているとは思われた。
「おじさん!」
古びた船のそばに座って何やら作業をしていた少年は、遠目ですぐにイッセイに気が付き持っていた縄を置いて駆け寄った。
「元気そうでよかった。仕事中だったかな?」
「頼まれごとをしてたけど、大丈夫だよ。どうしたの、おじさんも海賊になりに来たの?」
少年の言葉にイッセイは軽く笑い返し、首を振った。
「また君に聞きたいことができてね……思い出したくないだろうけど、斬ってきた相手のことだ。赤誠組にも話したかもしれないが……」
「話してないよ。だってあいつら、おれが子どもだからって何もわかってないと決めつけるんだ。だからおれ、ばかのふりをして何にも見てないし覚えてないって言っておいた」
「賢明なことだ」
ゾンが割って入った。たとえ義勇の士であったとしても、その人数が増えればどこかに陰ができる。このように得体の知れない犯罪は、調子に乗って吹聴すればどこで誰にとって具合の悪い話になるかわからないのだ。そうなれば、彼のような身寄りのない子どもなど簡単に消されてしまうだろう。
むしろ、すぐにクガネを離れ海賊に庇護を求めたのは正解だとゾンは見ている。もしもゾンの推測が合っていれば、相手は殺し損ねた子どもを消そうと探しているはずだ。
「それで、どんな奴らだった」
突如現れたゾンの態度に、少年はイッセイとゾンの顔を代わるがわる見比べた。イッセイは無理もないと苦笑し、少年に目線を合わせるようにしゃがむ。
「態度は悪いが悪人ではないんだ。俺を助けると思って知っていることを彼に教えてはくれないだろうか」
そう言うイッセイの横で憮然とするゾンの顔を見て、少年は面白そうに笑い、少し警戒を解いたようだった。
「おれが見たのは四人。みんな真っ黒な服と頭巾をかぶってた。ふたりはおじさんたちくらい大きかったと思う」
「ふむ」
少年の言葉を聞きながら、ゾンもまたその傍らに座った。そうして互いの目線が合う高さになると威圧感が少し削がれたのだろうか、少年は少し珍しそうに黒い角や鱗を見やった。その視線を気にすることもなくゾンは言葉を続ける。
「随分と洒落っ気のないことだな。他にはなにも目立つものはなかったか」
ゾンの言葉に少年はしばらく逡巡して、少し言いにくそうに口を開いた。
「……あのね、ひとりは顔に変な模様があった」
「どんな模様だ?」
「多分だけど、蜘蛛みたいに見えた」
イッセイは不思議そうにそれを聞いた。たしかにあの日は満月が煌々と輝き、手元の灯かりが不要ではないかと思ったほどではあった。だがその分闇は濃く人々は半ば影のように見えた。港はさらに灯かりは少ないはずだ。少年が嘘をついていると言うつもりはないが、とても頭巾の影の模様など見えるとは思えなかった。
「よく見えたな。さてはお前、夜目が利くのか」
ぱっと少年の顔に喜びが広がり、目が輝いた。
「そう、おれは目がすごいって! タンスイさんも褒めてくれた。遠くも見えるし、夜もよく見えるんだ。それで見張り役も任せてくれたんだよ!」
「やつが認めたのなら、それはすごかろうな」
ぶっきらぼうな物言いは相変わらずだが、目線を合わせその言葉に素直に耳を傾けたのはイッセイにとって意外なゾンの一面だった。そしておよそ交渉に向いた性格だとは思えないが、子ども扱いしないのは今回は吉と出たようだった。
この少年の暗視能力のように人並外れた力は、先ほどイッセイがそう感じてしまったように、嘘だ誇張だと決めつけられがちだ。おそらく彼もずっとそういう扱いを受けていたようで、自分の言うことを信じて貰えて、さらに能力を認められたのが嬉しかったのだろう。警戒心を一気に放り投げて満面の笑みを浮かべながら、得意げに少年は言葉を続ける。
「あとね、鼻もすっごい利くんだ。だから天気や潮の流れもうまく読めるようになるだろう、将来有望だ、ってさ!」
「それは確かにこの辺りでは頼もしい力だな」
大げさに褒めるでもなく、適当にあしらうでもなく、ひどくまじめな顔でうなずいてからゾンはもう一つ質問を口にした。
「鼻もいいならば、その時どんな匂いがしたか覚えてるか」
「におい……?」
突然ゾンが何を言い出したのかと、イッセイは首を傾げた。犬でもあるまいし、においで人を探すわけではないだろうに。
少年は記憶を探るように頭を押さえてくるくると視線を動かした。
「潮のにおい、木のにおい、鉄のちょっと錆びたにおい……乾いた汗のにおい。それから……」
あの夜を思うように目を閉じると、少年は少し自信がなさそうに呟いた。
「なんだかちょっと甘いにおいがした……化粧した女のひとみたいな」
「なるほど」
ゾンは何か得心がいったのか、深くうなずいた。そしておもむろに立ち上がると、帰るぞとイッセイに目で合図を送る。
「おれ、役に立った?」
「もちろんとても役に立ったとも。ありがとう。元気で暮らすんだよ」
しばらくこちらに手を振り続ける少年を、イッセイはちらりと見やって手を振り返し、ゾンはもう違うことに思考を巡らせており足取りを緩めることすらなく。そうしてふたりは島を後にした。
「あの子の言葉で、何かわかったのか」
「大体、繋がった」
「本当か!?」
「後で話す」
紅玉台場からクガネへ向かう小舟は船頭以外にもふたりほどの客が乗っていた。その一言で外でするような話ではないのだと理解してイッセイは黙ってうなずく。
茜色に染まる空の下、港から見える夜のクガネの街は明るく華やかで、どこからともなく音楽や宴で人々が笑い合う声が聞こえてくるようだった。だがそのきらめく光景の下で、泣いている人間は決して少なくはない。イッセイが昔その影の中で戦っていたように。
それはどこにでもある、決してなくなりはしない影だった。
宿に戻るとイッセイは休む間もなく仕事へと移った。
早い時間は影のように裏の小さな部屋で備品の整備や夕飯の準備などをこなし、夜は外の清掃や簡単な修繕をしながら見廻りや迎えにあたり、夕食の片づけにもせっせと当たった。この後、深夜や早朝にも仕事を抱え人一倍仕事をしているような状況ではあったが、自ら買って出たものもあり、黙々とできる仕事が多いこともあってイッセイは特に苦には感じていなかった。
そして周囲が寝静まりほかの下働きが残した細々した仕事へと手を付けようとしたところに、ゾンが何やら紙の束を持ってやってきて、いつものように何も言わず横へ腰を下ろした。
そしていつもながら、なんの前置きもなく話し始める。
「サカエ屋のオガツジという男、若いころに顔に傷を負い人に見せるものではないと普段はその傷を隠しているそうだ。顔の蜘蛛を隠してる、とは十分に考えられるな」
ゾンの言葉にイッセイは思わず手を止め、声を潜めた。
「オガツジ……その人が犯人だと? 冗談だろう」
「知り合いか」
「いや、顔見知りではないがサカエ屋の番頭オガツジといえば、慈善家で知られている徳の高い人物だ」
「ほう」
「なんでも金がなくて医者にかかれない人へ薬や医療の施しをしたり、職を失ったものへの仕事の紹介も積極的に行っているとか。前に俺の生家がなくなった話をしただろう。その時に新しい住まいと職を紹介してくれたのもその人だそうだ」
「一見いい顔をしても、実は儲けてるなんてことはいくらでもある」
「だが……」
ゾンは慈善家というものをおよそ信用していない。慈しみを持つ者が存在しないとはいわない。だがそれよりもはるかに多く、優し気な顔をして貧しい人々を利用する者は多いのだ。むしろそれが普通といったほうが近いかもしれないくらいには。互いに利益があるのであれば利用も大いに結構だと思うが、大抵は貧しい人々が一方的に食い物にされるだけだった。
ただ、ゾンはその貧者たちのことも軽蔑していた。続く戦争に第七霊災、魔物や抗争、災厄の種は絶えないから、誰しも貧困に陥る可能性はあるだろう。だがゾンにとっては彼らはそこから死力を尽くして這い上がろうとしていない、その立場に甘んじている存在だった。
「いいか、白角。今回の事件はあのガキが斬られたことやお前の家だけの話じゃない」
「どういうことだ」
ゾンは何から話すべきか一瞬思案し、椅子か台座かわからないまま腰かけたものの上に脚を組んで座り直すと口を開いた。
「お前が事件前に世話になっていた連中がどこぞに移ったと話したのを覚えているか」
「ああ。それがどうかしたのか」
「どうやら新しい港を作るということで集められたようだが」
ゾンはあくまで淡々とした口調で続けた。
「土砂崩れで全員生き埋めになったそうだ」
「……!」
深い衝撃でイッセイの動きが止まり、震える手で磨いていた道具を置いた。ゾンのほうを見ることもせず、考えを振り落とそうとするかのように頭を小さく振る。
貧乏長屋で喧嘩も絶えず、みな特に善人というわけではなかったが、それでも食いはぐれたイッセイにこっそりと飯を分けてくれたり手当をしてくれたり、時には庇ってくれたこともあった。ただ普通に生きていた人たちだった。
「……事故か」
「それ自体は事故かもしれん。だが、消された可能性もある」
「消された、だって……?」
「これを見ろ」
ゾンはイッセイに手にしていた紙の束を見せた。何やら細かく書き込みがされており、時々朱で印が付いている。外国の文字で書かれていたため一見ではイッセイには内容がわからなかったが、仕事柄名前の綴りなどはよく見ていたため、朱の印がすべてサカエヅと書かれているのだけは見て取れた。
「これは、この十数年にシシュウで起こった事件や事故の影響を調べたものだ」
本来ならば国内の事故や事件の顛末など外国人のゾンが知ることができないはずだが、昨今エオルゼアからの冒険者ブームに乗ってか鎖国の中ひそかに国外に向けての動きが活発化しており、以前に比べひんがしの国の情報も流出するようになった。さすがに現在の国の状況、特に地理についてや地図については機密中の機密で知ることはできないが、地方都市の歴史となると若干緩くなるようだ。
「多くの件で共通して”得”をしているやつに印を付けている」
例えば国主の死後跡を継いだ現当主の家老が贔屓にしていた店であったり、事件により失脚した商家の代わりに取り立てられたり、焼け落ちた館を再生するにあたって資材の買い付けを行っていたり……
「それが……」
「そうだ、サカエ屋だ。この紙は焼いておけ」
イッセイは神妙な顔をしてうなずいた。これだけを見てもそうそう何のことを示しているかはわからないだろうが、相手からすれば危険な資料だった。訴えを起こせば証拠の品になるのではないかとも思ったが、ゾンの様子からするとそういったことのために集めたものではないようだ。
湯をわかす竈の火に紙束を投げ込むと、それは溶けるように炎に包まれ、あっという間に茶色く小さなかけらへと変わっていった。
その炎の揺らぎを瞳に写しながら、ゾンは再び口を開いた。
「緋蜘蛛という組織がある。おそらく暗殺や窃盗を請け負う連中だ。サカエ屋がその組織に取り込まれているのか、中に緋蜘蛛の組織員がいるだけなのかはわからんが、普段の貿易に隠れて禁制の品を仕入れているようだ」
イッセイは火掻きで紙の燃えかすをならし、ゾンの言葉を促すように視線を送った。
「禁制品の中にプルトー香という薬物がある。これを服用すると肉体と精神が活性化され何倍もの力が発揮できるという代物だ。副作用としてひどく攻撃的になり時には理性を失うことと、依存性が高いことが挙げられる。要するに戦争の駒を作るための薬だ」
「それがいったい何だと……いや、まさか……」
「証拠はほとんど残らない。ただこれは夢想花という花から作られるもので、効能に反して甘い花の香りがする」
―― 花の、香り。
イッセイは思い出していた。あの事件の日、抱きしめた妹からは甘い花の香りがしなかったか。あの錯乱した様子は異常ではなかったか。だとしたら、妹は薬物を使われてあのような事件を起こさせられたのか。恨みつらみだけが、あの哀れなか弱い少女を動かしたのではなかったのか。
吐き気を催すほどの怒りと憎しみ、それとともに妹へのやるせない想いが胸にあふれた。噛みしめた唇から言葉が漏れる。
「妹からも、花の香りがした……あれは……そうか……」
ゾンは自分の推測が当たったことを知ったがあえて口には出さなかった。
苦悶するように黙り込んでいたイッセイだが、しばらくして落ち着いたのか顔を上げた。
「……ゾンよ。俺はその男に会って、一言妹へ詫びさせたい」
「フン」
形ばかりの詫びになんの意味があるとばかりにゾンは鼻を鳴らした。そもそも相手が詫びて許しを乞うとはとても思えず、やるかやられるかになるのは間違いないとも考えていた。
イッセイ自身も甘い考えだと思ってはいるが、それでも命で贖わせたいわけではないのは本心だった。妹を利用した相手を憎くないと言えば嘘になる。だがそれを言うならば元はといえば父親が呼び込んだものでもあるし、家族の死の原因はイッセイ自身にもあると思っていたからだ。
結局自分がすっきりしたいだけだと、自分でもわかっていた。ただ、そうすることでこの先自分が前を向いていける気がしていた。
「だがどうすればいい。この事がすべて真実だとして、まさかサカエ屋に飛び込んで問答するわけにはいかないだろう」
「そうだな。赤誠組とやらに泣きついてみるか?」
ゾンの物言いにイッセイは思わず苦笑を漏らした。思ってもいないことをよくしゃあしゃあと言うものだ、と。だがもしかして今のはイッセイの気を紛らわせようとゾンなりの冗談であったのかもしれない、とも少し考えた。
「俺は事を公にして裁きたいわけではない」
「同意見だ」
ふたりの視線が合った。そもそも今の今まで隠しおおせてきたのだから相手もそれなりの準備をしていると見て間違いないだろう。赤誠組内部に協力者がいる可能性も十分にある。下手に訴え出たとしても握りつぶされるか、逆にこちらに矛先が向く危険性が高かった。ゾンは自分ひとりであればそれほどに脅威とも感じないが、イッセイやこの宿自体が標的になれば面倒なことになるだろう。
「なに、白いの、お前は憎いやつの首が取れればいいのだろう」
イッセイは小さくうなずいてから、少し考えて付け加えた。
「首を取りたいとは言ってないが……とにかく相手の口から真実を聞きたい」
「馬鹿め」
「あまり簡単に馬鹿と言うな。俺だって、すみませんで終わる話だとは思ってないさ」
そしてもう一度、どうすればいい、と自ら問いかけるように呟いた。表立って行けば取りあって貰えないどころか自分たちが捕まる側になるであろうから、裏道で待ち構えでもするしかない。サカエ屋の裏口ででも張り込んでみるべきだろうかと思った。
なんの考えもないただの思い付きであったが、ゾンは真顔で相槌を打った。
「やつは周到で慎重だ。だが慎重過ぎて誰も信じず、何をするのも他人を使わない。尻尾を掴むのは難儀だったが、掴んでしまえば追いやすいだろう」
確信する響きを持った返事に、イッセイは今までも何度も思った言葉が喉まで出かけた。お前は一体何者なんだ、と。
だがイッセイはゾンが語る以上のことを詮索するつもりはなかったし、何より得体の知れない相手であるにも関わらず思いのほか信用してしまっていることに気が付いた。それだけでいいではないかと思い、言葉は飲み込んだ。