白き波 黒き炎(2)

宿の使いで夜の波止場へと向かいながら、イッセイは物思いに沈んでいた。
明るい満月が街を照らし灯かりも必要ないと思われるほどであったが、その分影が濃く限りなく暗い。そして夜にも関わらずほろ酔い風情の酔っ払いや仕事帰りなど多くの人がまだ出歩いていて、クガネは賑やかな空気で満たされていた。
クガネに戻ってからはできる限り目立たないよう、存在しないかのようにして過ごしてしていたイッセイだが、最近は使いなども増え多少外へも出るようになっていた。その化粧に目を留めるものも時折いるが、だからといって何があるというわけでもない。
ゾンに詰め寄られた日からずっとイッセイは考えていた。なぜ自分は生きているのか、と。
だが死ぬ選択は今イッセイの中にはなかった。それがなぜか、自分でも知りたい。
―― 死ねば周囲に迷惑がかかる。
曲がりなりにも犯罪者の自分を受け入れ、こうして生かしてくれている人々には迷惑はかけたくなかった。……確かにそうだが、日々がその穴を埋めていくはずだ。代わりなどいくらでもいるとは言わないが、今自分が居なくなったとて特別困る者はいないだろう。
―― 死ぬのが怖いのか。
それは、怖い。服役中に苦労も痛みも十分すぎるほどに味わったが、慣れることなどなかった。死のなんたるかなど知りはしないが、何か黒いぽっかりとした穴が待ち受けているようでやはり恐ろしかった。……だが、それは本当に死にたくば乗り越えられる程度のものだとも思った。
自分がどうして生きているのか、やはり見当はつかなかった。生きて何かを成そうとしているわけでもない。どんな境遇になってもしがみついていたいものも今やあるわけでもない。悩めば悩むほど、街を歩く人々はみなどこか輝かしい場所に向かっていて自分だけが迷子になっているように感じられた。
心にぽっと焦りが生じた。何もない自分にはやはり生きる価値などないのではないかと思いすらする。
何か形状しがたい暗い気持ちに爪を立てられそうになったその時、不意に周囲がざわめいた。小さな悲鳴と怯えるようなささやき声。
喧嘩か、と最初は思った。人が数人集まっているのが遠くに見えたが、イッセイはその人だかりから離れるように動く影に気づき、なんとはなしにその連中を見送る。黒装束と思しき三人の後ろ姿。彼らはあっという間に暗がりへと消えた。賊には思えないが訓練された集団という風情でもない、そう長年修羅場にいた勘のようなもので思った。
誰かが緊張した声で「赤誠組を呼ばないと」と叫んでいるのが聞こえて、はっとして声の方角を見やると、何かを見守るようにもしくは避けるように人々が集まっているその中心が見えた。目をこらした瞬間、イッセイの心臓が跳ねた。
血に濡れた子どもが倒れている。
あの日の惨状ほどではないが、まだ10を越えたかそこらの子どもが血に濡れている様子は、妹を思い出させた。
思わずイッセイはその子どもに駆け寄った。
袈裟斬りに斬られた痕があり、あとからあとから血が溢れて苦しげな息を漏らしていた。安静にして医者を待つべきかとも思ったが、こんな子供がどこまでこの傷に耐えられるのかイッセイにはわかりかねた。「誰か医者を……」という声も聞こえるが、誰もが不安の中金縛りにあったように動けないでいるようだった。
子どもの唇が開き、小さな声が漏れた。
「死にたく、ない……よ」
その言葉がイッセイの中で大きくこだました。弾かれるようにして、イッセイは服が血で汚れるのも厭わず子どもを抱きかかえる。
「医者まで連れて行く! 道を空けてくれ!」
再び周囲がざわめいたところで、イッセイよりも背丈がありそうな体格の良い人間が前に立った。あまりクガネでは見かけない外国風の白と赤の華やかな衣装を身にまとった、ルガディンの女性だった。
「君、そこをどいて……」
「大丈夫、その子を寝かせて」
優しく言い聞かせるような落ち着いた声に、イッセイは戸惑いながらも従った。女性は少年の傷口に手をかざして集中するように眉根を寄せて目を閉じ、何事か呟いたようだった。と、逆の腕に持っていた杖からちょうど広場の転魂塔のような青白い光が溢れ、彼女の手を介して少年へと向かい、その傷口に吸い込まれるように消えていく。
「おお……」
イッセイは感嘆の声を漏らした。見れば、少年の傷口は痛ましい跡こそあるもののしっかりと塞がっていた。
「今のは……もしや治癒魔法という……?」
「うん、そう。あとはこの子のエーテル次第だね……。どこか休ませてあげられる場所を知ってるかい? あたしもここに来たばかりだから、ついでに少し休めるといいんだけど」
それなら、とイッセイは自分の宿を紹介する。
入船時刻は基本的に定められているが、時おり夜分に到着する船がある。あてがあるものや土地勘があるものはいいが、そうでなければここで迷ううちに客引きにあって結果高い宿をとる羽目になることも多い。
少年をおぶって歩く道すがら話を聞けば、ソルクトータと名乗ったその女性はエオルゼアから来た白魔道士という癒やし手であるとのことだった。最近巷で噂の、次から次へと難題を片付ける「英雄」と呼ばれる者なのだろうか、とイッセイは思った。
それにしても、回復魔法というのはすごい、と改めて感心した。
そして、あんな技が使えれば……と思わずにはいられなかった。殴られたり蹴られたりしたケガも治せただろうし、もしかしたら斬られた両親をあの場で救うこともできたかもしれない。
今それを思ったところでどうしようもないのだが、余計に自分の無力さを感じずにはいられなかった。
「一体どれほど修行を積まれたのでしょうか」
思わずそう呟くと、ソルクトータはにこりと微笑む。
「それが案外簡単さ。要は素質なんだよ。白魔道士……いや、そもそもは幻術士の技なんだけど。結局のところ、あたしらは世界が持つエーテルの橋渡し役でしかないんだ」
うなずいたものか首をかしげたものか悩みながら聞いていると、値踏みするように見られていることに気がついた。おそらく訝しげな顔をしてしまったのであろう。ごめんよ、とソルクトータは呟いてからもう一度イッセイをしげしげと見た。
「あんた、見たところ素質はありそうだけどね」
「素質……? 俺でも、あんな奇跡を起こせるようになるんでしょうか」
その言葉を聞くと、今度はソルクトータは愉快そうに笑った。
「あたしのは奇跡なんかじゃないさ。奇跡を起こすのはね、さっきあんたがあの子を抱いていこうとした、そういう行動のほうなんだ」
よくわからないが褒められたようだった。だがそれに喜ぶ暇もなく、次の言葉にイッセイは思わず腰を浮かせた。
「興味があるなら、簡単な魔法だけ教えてあげようか」
イッセイは考える間もなく、うなずいた。あんな奇跡を起こしたいなどと大それたことは思わないが、少しでも人を癒やすことができるならと心から湧き上がる思いに包まれた。
これが、後のイッセイの人生を大きく変えることになる。

結局ソルクトータが自分の連れだと言って自室に少年も休ませてくれたので、事は大きくならなかった。昼近くに赤誠組がひとり聞き取りに来ていたそうだが、取り立てて何かがあるというわけではなさそうだった。
任された仕事を終えて少年の様子を見に行くと、布団から起き上がり甘みをつけた葛湯を美味しそうに飲んでいた。その姿を見ると心底ほっとして、イッセイは少年に声をかける。
「元気になったようでよかった。ご家族を迎えに呼ぶかい」
「ううん、おれ家族はいないんだ。父ちゃんも母ちゃんもこの間病気で死んじゃった」
あっけらかんと答える少年にイッセイは絶句したが、考えてみればこの少年のような環境の子どもは少なくない。追放刑を受けていた最中も、親を失った同年代以下の子どもには嫌というほど出会ったのだ。
「だからおれ、海賊に入れて貰おうと思って」
「なるほどな……」
そして夜の波止場に海賊と関係がありそうな船がないかを探しに行き、その一団を見かけた。でも何をしていたかは知らない、と少年は言う。海賊かもしれないと思って話しかけたところ斬られたというのだ。
ただ少年の脚が思ったよりも速かったのか斬られても力の限り逃げたためか、人目がある場所に近づきすぎたのであろう。おそらくあの時あの場を去った連中が下手人だと思ったが、何しろイッセイにはほとんど影のようにしか見えなかったし彼らがあの後どうなったのかはわからない。
こんな小さな子どもに惨いことをする、とイッセイは思った。おそらく何らかの危険な取り引きでもしていたのだろう。禁制の品への検閲も厳しくなっているはずだったが、どこにでも抜け道はあるものなのだ。
「ところで、一つ聞きたいことがあってな」
「なに?」
「倒れたとき、死にたくないと君は言った。どうして、何のために、生きたいと思ったんだい……?」
正直、少年はかなりくたびれ汚れた格好をしていた。親に死なれ、おそらく食い詰めた結果海賊になろうと思ったのだろう。そんな子どもが何を求めて生を願ったのか、イッセイは知りたいと思った。
少年は不思議そうな顔をして、一度考えるように大きく首を傾げた。それからまた不思議そうな顔で答えた。
「何のためって、何のためでもないよ。ただ生きてたいんだもの。こうやって美味しいもの食べれるし、かっこいい海賊になれるかもしれないし」
そう言って少年は葛湯を嬉しそうに掲げた。

―― ただ、生きていたい。

少年の言葉がその胸に、全身に染みこんできて、イッセイは人知れず大きく息を吐いた。
「そうだ……俺は、俺も、生きたい……」
先にあるものがなんなのかはわからないが、ただ生きて、たとえ一寸先が闇だとしても前に進みたいという思いがあった。これまではそれをすべて妹という存在に負わせていたが、そもそも他人のために生きてきたというのが勘違いで、自分が生きてきた道に理由を付けていただけなのだ。
何のために生きるのか、というのは愚問だと思った。多分人間はすべからくその答えを持たずとも、ただ生きているのだ。だが生きているからこそ、何かのためにという目標が生まれていく。
顔を上げると、いつものクガネの風景が広がっている。
代わり映えのしない、平凡な朝。海からの霧がけぶるように街を包み、ぼんやりと建物の輪郭が浮かぶ。
だが何か、ほんの少し何かが変わった気がした。日々は変わらない。突然暮らしが変わることはない。罪の意識も消えたわけではない。だが、明日をどう生きようかと考えられるようになった。それはイッセイにとって大きな一歩であった。

その日、夜道でも遠目からわかる大きな体躯と角を見て、イッセイは思わず声をあげかけた。あのときのアウラ・ゼラの男だ。
前にゾンが宿泊をしたときから半年近くが経っていた。
ゾンは出立前にエオルゼアに向かうとだけ言っていた。あちらで何を成すつもりだったのかはわからないし聞いていいものだとも思わなかったが、もう戻って来られない可能性も高い。それでももしまた会うことがあれば礼を言わねばと思っていた。いや、あの男に礼など不要だろうけれど。とにかくゾンの一言がきっかけとなってイッセイの霧は晴れたのだ。
だが、その顔を見た瞬間イッセイはなんとも言えない違和感を覚えた。
短く揃えられたくすんだ金髪も、青みがかった銀色の瞳も、目を引く×字の戦化粧も変わらない。だが何か少し人が変わったような気がした。
「おい、黒いの」
「……客にずいぶんな口を利くな、この宿は」
「今は客と話しているつもりはない。殺すとまで言ってきた無礼な男だと思っているよ」
ゾンはイッセイをちらりと見やった。他人に興味はまったくないが、この”親殺しの白角”の事は覚えていた。
「俺はクロガネのイッセイという。君に礼を言わなくてはと思っていた」
「礼? 何の礼だ」
「少しだけ、自分が生きている理由に気づかされた。いつぞやは腹も立ったが、君の言葉のおかげではある」
そうか、とゾンは唇の端を上げた。結構なことだ。だが、今はゾンが生きる目的を失いつつあった。
その様子を訝しんでか、相手は声を潜めた。
「何かあったのか」
「死んだと思っていた弟が、生きていた」
イッセイは目を見張った。以前の自分ならば、自分の妹は失われたのにと羨んだかもしれない。いや今もその思いがまったくないわけではないが、非常に喜ばしいことだと素直に思えた。
「何だって。よかったじゃないか」
「ナルが生きて、笑っていることは素晴らしいことだ、だが……」
大切な……ゾンにとって誰よりも大切な家族は、弟は確かに生きていた。
学者を探して渡ったエオルゼアで、あの広大な大地で、出会うことができたのだ。やはり弟は太陽神に愛されているのだと思った。
憎むべき学者はすでに亡かったが、少なくとも弟は幸せには過ごしていたようだった。かなり逞しく育ってはいたものの、昔と同じ無垢な笑顔と性格のままでゾンに笑いかけた。
ならば今度は弟の幸せのためにすべての人生を費やそうと思ったが、弟は既に自分の人生を見つけていた。その傍らには、弟が自ら選んだという相手もいた。
あの学者を思い出すような、ひょろりとした鱗も角もない優男。
腕は立つ。世間的に見れば信頼が置ける性格でもありそうだった。喋れないという大きな難点はあったが、やたらとうるさくないのは逆によいことかもしれない。
とはいえ、相手によい感情は抱けなかった。最後の家族を奪われた、と思えて仕方がなかった。弟の決意を尊重したい一心でエオルゼアを後にしたが、その姿を思い出すと胸のうちに炎が燃えあがる。しかし、それは復讐の炎とは似ても似つかない弱いものだった。
なによりゾンを焦燥感に駆らせたのは、その復讐心自体の勢いが失われてしまったことだった。家族を失った悲しみは消えていない、奪った相手への憎しみも消えていない。なのにその半生を賭けてきた、自分の身すら灼きそうだった復讐の炎はいつの間にか揺らぎ勢いを失っていた。
まだ最後のふたりが残っているというのに、彼らを追い詰めるだけの情熱が失われてしまった。
それは死んでしまった家族に対しての裏切りではないだろうか、そうゾンは思い、自分を責めていた。
ゾンの口から言葉が零れ落ちた。
「俺は、今なぜ生きてる……?」
イッセイははっとしてゾンを見たが、ゾンもまた自分が口走ったことに対して驚いていた。
「生きたいから、生きてる。違うか」
「俺は生きたいんだろうか」
以前と別人のようだ、とイッセイは戸惑いを隠せない。しかしゾンはそんなイッセイにも気づかずに思考の底へと沈んだ。
弟が生きている喜びは素晴らしいものだった。また、弟が自分の道を進んでいることも、寂しいながらも応援したい思いはもちろんあった。誰よりも幸せを掴んで欲しいと思っているのは本当なのだ。
あのとき、オサードへ帰る船から見た、弟の住まうリムサ・ロミンサは美しいとも思った。景色が美しいなど、あの離別の日から一度も思ったことがなかったのに。
「俺は、俺は一体どうしたんだ」
ゾンの中に何か迷いのようなものが生まれていた。それが何であるのか皆目見当もつかず、ただ失ってしまったものばかりが目についた。
「俺は弱くなったのか……弟に、会うべきではなかったのか」
イッセイは何も答えなかった。それはイッセイに向けられた問いではなかった。

以前から見て格段に覇気のなくなったゾンだが、同時に目的もなくなったのか、何をするでもなく宿に逗留しては夜中に起き、仕事中のイッセイに絡んでくるようになった。
とはいえ世間話をするでもなく、もちろん昔話に花咲くわけでもなく、じっとイッセイの様子を見ては時折その道具はなんだとか、何をしているんだ、などと問いかける程度であったが。
だが、その日々の中でイッセイには新たな変化があった。
ずっと持っていた妹からの手紙のすべてを、棄てようと思いついた。
ゾンは自分の話はめったにしなかったが、それでもぽつりと漏らす言葉で彼が弟の存在にひどく囚われていることは感じ取れた。それはかつての自分の姿のように思えた。自分の人生を、妹という存在に「贖罪」という言葉をかぶせることで生きてきた自分に。
―― だが、俺は俺として生きていかねばならない。
その思いを新たにしていた。
手紙を火にくべる準備をしながら、最後に妹の無念をもう一度だけ目に焼き付けようとしてイッセイは今まで気に留めていなかった一文に目が留まった。
『刀は盗んだのではないの。少しの間刀を預かっていて欲しいと渡されただけなのに、わたしはそれを使って父さまと母さまを殺してしまった』
違和感、などというものではない。妹の死の悲しみでいっぱいになってしまっていたとはいえ、どうしてこれまでこの一文を気に留めなかったのだろうか。
「ゾンよ。お前、どう思う……?」
いつものように仕事に精を出すイッセイを何の気なしに見ていたゾンだが、それを聞くと首を振った。
「刀を命だとか思い込んでる連中でなくても、小娘に預けることなどあるものか」
では誰が、何のために。イッセイは急に心がざわつくのを感じた。もうはるか昔のことではあるのだがどうしても看過できないものがあった。何をしても両親も妹も戻ってくることはないが、胸につかえたものを自分のために取り除きたい。
「何か心当たりはないのか」
「心当たりと言われてもな……妹にはそもそも知り合いなどほとんどいなかったはずだ……」
ゾンは座り直して、考えを巡らせた。敵にしろ味方にしろ情報を聞き出すには、こつがある。たとえば適当でいいので何か決めつけたことを言ってみる。そうすると合致するにしろ反論するにしろそれに対しての反応が返ってくる。ずばり正解そのものを与えてくれることもあれば嘘や勘違いをした内容が返ってくることもあるが、事実というのは基本整合性の取れたものであるから、あり得ない部分を除いていくことで正解へ近づいていくことができる。
「お前の父親はだいぶ金に困っていたそうだな。あくどいことでもして恨まれていたのではないか」
「かもしれん、が……正直なところ何をしていたのかはわからない。あの頃はあまり家にも寄り付かなかったからな」
「だが事件当日はそいつは家にいた」
「ああ、そうだ。少し前に実家から金を貰ってくると言って居なくなったが、前の晩にふらっと帰ってきて……」
そう言われて、イッセイは思い出した。あの晩、珍しく父親は家で上機嫌で酒を飲んでいた。たくさんの酒をどこかから手に入れてきていたし、妙に整った身なりではなかっただろうか。
酔っ払って何を話していただろう。到底真面目に聞く気にはなれなかったが、もっと広い家に引っ越そう、母にも妹にも新しい服を買ってやろう、などと言っていなかっただろうか。酔っているとはいえ景気の良いことばかり言って気持ちが悪いほどであった。
「……あの日の父は、金を持っていた」
「金を持った後で死んだ。こういう場合は大抵口封じだ」
何しろ、ゾン自身がそういう仕事を請け負ったことが何度かある。
「しかし、殺したのは妹だぞ……」
「お前の家の状況が知られていたんだろう。うまく娘が殺せばよし、そうでなければ次の手を打つだけだ」
「では……ミナミは、利用されたというのか……」
誰かが妹に武器を渡し、暗に殺せと示唆したのだ。
そう思った瞬間、イッセイはめまいがするほどの怒りに包まれた。刀を振るったのは確かに妹だ。その罪自体はなくなりはしないが、誰かの思惑に妹の悲壮な決意が利用されたことが許せなかった。
「お前の父親が、何を知り得たか……だ」
ひどく冷静なゾンの声でイッセイはぐらぐらと燃えるような闇から引き戻された。
「仕事はしていたのか」
「いや、色々とつてを頼ってはいたが、何をやってもまったく続かなくてな」
意図がいまいち掴みきれないまま、イッセイは記憶を辿る。思考を巡らすことで少しずつ怒りでかっと熱くなった全身が落ち着いてくるのを感じた。もちろん治まったわけではなく、深淵のように冷えた怒りへと変わっていく。
「そういえば生まれは裕福だったと言っていたな」
「子どものころはどんなにいい暮らしをしていたかを何度も聞かされていた。自分が働くことなどと考えもしていなかったのだろうな」
「そのご立派な家はお前たちを助けてはくれなかったのか」
「父が何度か金を無心に行っていたのは知っているが、帰ってくるたびにひどく荒れていて殴られた。追い返されたのか、満足いく額ではなかったのかはわからないが」
「フン」
ろくでもない男だ、とゾンは心底イッセイの父を軽蔑した。ゾンも闇の仕事を請け負ってきた身で、血縁があるということは必ずしも家族であるということではないのだと知ってはいるが、改めてそれを実感する。そう考えれば、このイッセイという男はそんな人間に育てられたにしてはかなり”まし”であるように思えた。
「いや待て、だがあの時は妙に威勢よく出かけて行ったな……いつもは嫌々だったが……」
イッセイの呟きに、ゾンはうなずいた。
つまり、その時は何か”あて”があったのだ。
「父の実家が何か関係すると……?」
「それはわからん。まあいい、任せろ」
そう言いながらも、ゾンはイッセイの父親が実家にかかわりがある何らかの秘密を知り、相手を強請ったのだろうと考えていた。それが当の家のことなのか、また何を知り得たのかはわからないが、秘密というのは何もないところからいきなり見知らぬ誰かに漏れることは少ない。同僚、友人、血族……彼らはみな善良であるとも味方であるとも決まっているわけではないのに、なぜかそこへのガードは甘くなる。父親本人に対して秘密を話すとは思えないが、家の中で無防備に話されたことを知る可能性はあるだろう。
ゾンは諜報活動も得意としていたが、イッセイはそれを知らない。世間知らずで無駄に目立つと思われるこの男が何をしようとしているのか、見当がつかなかった。ゾンの言葉を真意がわからないまま受け止める。
「任せろと言っても、どうするんだ」
「調べたいことがある。関係があれば、必ずどこかで繋がる」
それはまさに、ゾンが仇を見つけるのに通ってきた道であった。針の穴のような小さな事象をひとつひとつ執拗に掘り下げ、拡げることで繋いで探っていく。それは浜辺の砂粒を数えるかのような途方もない作業であったが、ゾンはそれを成すだけの鋭い観察力や体術、そして何より執念とも言える胆力を備えていた。