ゾンはシーアと再会する以前は、常に怒りの感情に支配されていた。
家族を失ってからというもの、その敵討ちをするという怒りだけを糧にして生きてきたのだ。そのためならどんなに残酷なことでも汚いことでもやってきた。大切な者を失ったことに怒りを覚えていたし、彼らが死んでしまったのにのうのうと生きているすべてが憎かった。もちろん、自分自身も。
シーアと再び会ってからは、その怒りの多くは彼への愛情へと変わった。
しかし怒りもまだ消えてはいない。弟へ仇なすものすべてへの怒りだ。
自分の弟が『英雄』と呼ばれる存在のひとりになっているのは、再会してから知ったことであった。近頃エオルゼアでは先の霊災の際ガレマール帝国との戦いにおいて活躍した冒険者の一団に重ねるように、同じように活躍している冒険者たちを『光の戦士』だの『英雄』だのともてはやしていると聞いたことがあった。
アジムステップにモル族の思いも寄らぬ勝利を呼び込んだ一団がいるのは伝え聞いていたし、その中の一人はエオルゼアに渡っていたアウラ・ゼラの男だとも聞き及んでいたが、弟のことだとは夢にも思わなかった。
調べてみれば確かに人々に讃えられているが、英雄という名の下に弟を駆り出しては難題を押しつけている、ゾンにはそのように感じた。そして真の意味での『光の戦士』はとあるひとりの人物を指していることも彼の情報網で確かであった。危険な筋から命を狙われているという話もいくつも入手した。そして彼の弟も、人違いか彼自身の成したことによるかはともかくすでに何度も命の危険に晒されていたことも。
そう聞くと、英雄呼ばわりをする連中すべてに激しい怒りを覚える。
―― ナルは庇護すべき、幸福へと導くべき存在だ。
ゾンにとって、シーアはただただ可愛い弟であった。
それでも周囲にとっては頼りになる”英雄”様である事実は変わりようがない。それが光の戦士張本人であるかどうかはあまり関係がないようであった。
ゾンが一緒に居る間にも、弟が何かと頼まれ事をされては走り回る様を何度か目にしていた。
その日も、溺れた海豚亭で軽く飲んでいたふたりのそばへみすぼらしい男が「手紙を頼まれた」とやってきた。何やら耳打ちされてうなずくとシーアは書簡を懐へとしまった。
兄の視線に気づいたのか、少々決まりが悪そうに「俺だけに読んで欲しいって言われたから見せられないんだ。ごめん」と告げる。そういった真面目なところは弟の良いところだと思い、ゾンはわかったといったように頷いてみせた。
だが部屋に戻った後で、弟の鞄からその書簡を見つけ出すと躊躇なく開いた。これは勝手にゾンが見たものであって、弟が約束を違えたわけではないというわけだ。
中には、命を狙われていて相談があることと待ち合わせの場所と時間、相談内容を人に知られたくないためひとりで来て欲しい旨が書かれていた。場所はシダーウッドの外れで、この辺りの地理にそこまで詳しくないゾンでもわかるほどに”健全なお茶会”に向いた場ではなかった。
ひとりで来いなどと怪しすぎる文句だが、人を疑うことを嫌う素直な弟がこれに従ったのは間違いないだろう。そして直感的にこれは不味いと思った。時計を見ると、もうまもなく約束の時間であった。チョコボに飛び乗ったとして、間に合うかどうか。だが、間に合わないから行かないなどという考えはない。
こんな時に「あの相棒面の男」は家を空けているようだった。
わずかに逡巡し開いたままの書簡を机に置きナイフを突き立てた。これで伝わらないようであれば、弟を護るなどと思う資格すらない。
そのまま背を向けるとアパルトメントの部屋を飛び出して厩舎へと向かった。
道を少し外れた木立のその奥、死角となった空間に簡単なしつらえの机と椅子が置かれていた。
その机に突っ伏すようにして動かないシーアの姿と、そばに立つ男を見たとき、ゾンは一瞬息が止まりかけた。
だが苦しんだり暴れた形跡もなく、傷や血痕も見当たらない。おそらく毒物ではなく睡眠薬を盛られたのだろう。眠っている間に拉致するか殺すかするつもりであろうと思われた。
そう気づくと、深い安堵とともに烈火のごとく怒りがわき上がった。
「貴様!!!」
怒号とともに姿を現したゾンに、男は哀れなほどに狼狽したようであった。この様子からすると、わずかな金で使われた下っ端か貧民だろうと思われた。
「お、俺は関係ない!!俺は知らない!!う、わあぁ!!」
逃げ出した男を追い、ゾンは容赦なく大剣を振るった。知ろうと知るまいと、弟を手にかけようとしたのは事実であり、それを許すわけにはいかなかった。
男の無様とも言える断末魔が響くとほぼ同時に、ゾンを囲むように一目で訳ありとわかる柄の悪い男たちが姿を現した。中央のルガディン族と思われる男はアウラの中でも大きなゾンよりもさらに数周りも大きく、落ち着いた様子とその巨体に不似合いなしなやか動きから相当な手練れだと思われた。
「殺せ!眠っているほうからだ!!」
巨漢が放ったその声とともにさらに数人が林から現れた。
思ったよりも数が多い。ひとりの人間の抹殺にこれだけの人数を呼び寄せるとは、相手はどうやら本気で英雄を消そうとしていたようだ。
その中に弓を番えた影を見つけたとき、再び心が氷のように冷えた。
――しまった。
敵を追い、弟との距離が開いてしまっていた。この距離から、多人数を相手にしながら矢をたたき落とすことは難しい。なぜ自分は、最初に弟の安全を確保しなかったのか、と今更ながら唇を噛む。
その間にも弓士は命令通りに動き、空気を裂くように弦の鳴る音が響いた。
「ナル……ッ!!」
ただ死に物狂いでそちらへと走ろうとしたとき、金属同士がぶつかる鈍い音が響き、弓が弾け跳んだ。
何者かがシーアをかばい、前方に立ち塞がっていた。
白銀の鎧を纏い、剣と盾を構えたフィーカだった。
剣盾を高く掲げるその構えとともに、鋼鉄の意志が身を包む。
ゾンは新たな敵にひるんだ敵の隙を逃さず、目の前の男を切り倒した。そして、シーアを護るように位置取ったフィーカを見て声をあげる。
「遅い!足手まといにはなるなよ」
助けに来た人間に対してあまりにもあまりなその言葉だが、フィーカが不敵な笑みで頷いたのが見えた。どうやらゾンが思っていた以上に胆力はあるようだった。
フィーカは向かってきた数人の剣士の攻撃を、盾で流しては剣でなぎ払った。その切っ先は腕を狙い、命を奪うのではなく的確に武器を使えなくして戦意を削ぐ戦い方だった。
それを見て「甘い」と言い捨てながら、ゾンは巨漢の突撃を避け、木立の弓士のもとへ駆け込んだ。突然の接敵に慌てふためき弓を取り落とした相手の首を狙い剣を振り下ろす。逃げ回るふたり目の弓士を屠り、広場へと向かうとフィーカが巨漢を含む三人の攻撃を受け止めていた。さすがのフィーカも防戦一方のようだが、その向こうで眠る弟が無事なのを確認しゾンは小さくうなずく。
「貴様の相手は俺だ、うすのろ」
ゾンの声が響くと、巨漢は鍔迫り合い状態にあったフィーカを軽く弾き飛ばし、彼が体勢を整える間に向きを変えた。
単純な挑発だが、効果はあったようだった。もとより皆殺しにするつもりだったのだろう。凄みのある笑いを閃かせると、”うすのろ”とはほど遠い巨体とは思えない素早さで接近し、奇妙に曲がりくねった短剣を繰り出してきた。
その素早い攻撃を右に左に避けながら、隙を縫って大剣を叩きつけた。
たしかにその一撃は相手の腹を切り裂いたと思ったが、まるで瞬時に移動したかのように相手の姿が揺らぎ、剣は宙を切った。
「くっ……」
逆にその隙を突いて突き出された短剣に喉元を狙われ、あわやというところでフィーカの長剣が敵の切っ先を反らした。
短剣は右腕を軽くかすっただけであったが、その個所の異様な熱さにゾンは気づいた。
「毒か……」
この相手のことだ、おそらく致死性のものだろう。早く決着をつけて、措置をしなければならない。いくつもの死線を切り抜けてきたゾンはこういった状況は初めてではなかったが、若干の焦りも出たのであろう、何度かここだというタイミングで打ち込むもゾンの大剣は相手に交わされ続けた。
大剣は破壊力こそあるものの、動きが大ぶりで先を読まれやすい欠点がある。しかも鋭い一撃を繰り出そうとすると、右からの攻撃に偏ってしまう癖があるのことを自分でも認識はしていた。
フェイントをかけ、右と思わせて左からの一撃にすべてを賭ける。それしか手がないように思われた。
しかし今左手にはフィーカがいた。このままではあの男も諸共に斬ってしまう。
いやその時はそれまでの定めだったのだ、とゾンは即座に思った。弟の命より大事なものなどない。そのためであればどんな犠牲も厭わない。
瞬時に決断を下し、ゾンは大きく息を吸い右に大剣を構えた。左足を踏み出し、全身に力を込め回転を生かして左からの攻撃に変え、仲間であるはずの男もろとも敵を屠る。
踏み出した後のゾンに迷いはなかった。鱗に包まれた腕が音を立てそうなほどに固く膨らみ、血管が浮き出る。
膂力のすべてを注ぎ込んで剣を振るうと、同時にフィーカの体が沈み込んで大剣を避け、剣は少しも勢いが衰えぬまま敵へとたたき込まれた。
―― 俺の考えを読んだか……!?
巨漢は思わぬ一撃で肩から半身を裂かれ絶叫をあげ、血しぶきが舞い、膝を着いた。そしてその頭へ容赦のない追撃が叩き込まれ、声にならぬ声をあげて相手は踊るようによろめき倒れた。
二度、三度、とどめを刺すというよりは相手を粉砕するかのごとく重く容赦のないゾンの追撃が続く。
一番の手練れを討たれてか、それともあまりに凄惨な光景を見てか、周囲に動揺が広がるのがわかった。そして一人が逃げ出すと、負傷した腕やら足やらを抑えながら我も我もと散り散りになっていった。だがそれを待ち受けていたのはフィーカが連絡したイエロージャケットの姿だった。
敵が姿を消すと同時にゾンは弟のもとへ駆け寄った。
その額や頬に触れ、ケガや熱もなくただ眠っていると確認して安堵のため息を漏らす。
そこに何かの草を手にしたフィーカが駆け込んできて、険しい表情のままゾンの腕を引いた。煩わしそうにゾンも力を失い始めた自身の腕を見やる。
「……」
何も言わず、いや何も言えないだけかも知れないが、フィーカはゾンの手甲を外させ、衣服をナイフで細く割くと傷口の具合を見ながら素早く上腕部をきつく縛った。
応急措置の基本くらいは知っているか……と、ゾンは感情の薄い目でてきぱきと措置をするフィーカを見つめた。
「少し広がったな……」
ゾンは毒や暗器に通じておりその対処についても詳しかった。この状態になったときに対応ももちろん知っている。毒の回った肉を抉るのだ。
「……やれ。やれなければ自分でやる」
フィーカは小さく首を振ると腰のポーチから畳んだ布を取り出し、ゾンの口元へと差し出した。一瞬怪訝な顔をしたゾンだが、黙ってそれを咥える。そして来る衝撃に備えてゆっくりと息を吐いた。
フィーカの採ってきた鎮痛の薬草が効いてきたのか、ようやくゾンの顔に血色が戻ってきた。
話す元気も取り戻したのか、恩人とも言える男をねめつけるように見上げる。
「一緒に斬ってもしまってもいいと思ったが。よく俺の動きがわかったな」
非道なことをしゃあしゃあと述べると、まだ少し肩で息をしたままフィーカは口を開いた。滅多に声を出そうとしないフィーカが、何かを伝えようとしたことにゾンは珍しく興味を抱いた。
「……し……あ………さ、に」
フィーカはゆっくり、ゆっくり、ノイズのような音を吐きながら言葉を紡ぐ。ゾンは辛抱強くその音を拾っていった。
「に……て……」
『シーアさんに似てるから』
弟と動きが似ているから、考え方が近いから、合わせて動くことができた。フィーカはそう言っているのだった。
確かにあのフェイント時以外でも、ストレスも不満もなく、これまで共闘した者たちの中でもかなり戦いやすい仲間であった。
それほどまでに弟とこの男は並んで戦い、磨き合い、支え合ってきたのかと思った。ゾンもまた戦いの中で生きてきたからこそ、その領域に達する困難さがわかる。
「そうか……」
その刹那感じた思いを、なんと表現したらいいのかゾンは知らない。
嫉妬のようであって嫉妬ではない、安心したような、苦しいような、悲しいような、寂しいような、嬉しいような、泣きたいような、怒りたいような。
それは海の底とも空の果てとも言える、深く複雑な色の想いだった。
一方フィーカは、言葉の半分は飲み込んだままだった。
戦い方、確かに体の動きやちょっとした癖、相手を攻略する上での勘所のようなものはよく似ている。この相手との共闘は初めてだというのに、戦いやすいと思ったのも確かだ。
だが、あまりにも苛烈なそのスタイルは、彼の相棒とは似ても似つかなかった。
ここまでする必要があったのか、と倒れた数人の様子を見て思う。彼らのしたことを許すつもりはない。だが、償いとは命で償うことだけではないだろう。ましてや、そこまでの罪の重さがない者もいただろうに。
似ている。だけどまるで似ていない。
シーアの隣に居るのは自分でありたいという気持ちはもちろんある。だがそれとともに、あの兄がずっと相棒の傍にいることへの不安も募った。たしかに弟への深い愛情は感じられ、自分は引くべきかと当初は悩んだ。だが、彼のような男に庇護され続けることは決してシーアにとって幸せな道ではないように思えた。
だからフィーカは、ゾンに対しては譲らないつもりではあった。
―― もちろん、あなたがそれを望むのなら僕が決めることではないけれど。
負傷したゾンの代わりにまだ意識を失ったままのシーアを背負いながら、フィーカは心の中で背中の相棒に語り掛けた。
「そうだな、弟の護衛としてはまあ認めてもいい」
不意にゾンが紡いだ言葉に、フィーカは顔を上げた。
護衛とは……と憮然とはしたが、少なくともこの弟以外に対しては限りなく厳しい男に少しは認められたのであろう。己に悪感情を持っているであろう者からの賞賛は、その分素直に受け止められた。
しかしその次の言葉には、思わずかすれた驚きの声を漏らした。
「いずれまた、迎えに来る。弟に何かあれば、容赦はしない」
相変わらず物騒な物言いだが、それが別れの言葉であることは明白だった。
なぜだ、とも、諦めるのか、とも思ったが、それは自分が口にするべき言葉ではないと、フィーカはただ深くうなずいた。この言葉を口にするに至ったゾンの気持ちを、他人が知ろうとするのはおこがましいだろう。
自室のベッドで目を覚ましたシーアはしばらくは何が起こったかわからない様子であったが、順を追って思い出したのであろう、途中ではっとした顔をして辺りを見回す。
と、傍らに控えていたゾンが心配そうに弟の顔をのぞき込んだ。
「具合はどうだ。どこか苦しかったり、痛かったりはしないか」
「ん、大丈夫……だけど。兄ちゃん……俺は……」
「何も心配はいらないぞ、弟よ」
そう言いながら、シーアの額にケレルの守りのまじないを描き、髪をわしゃわしゃとなでる。シーアは嬉しそうに、くすぐったそうに笑った。子どもの頃とは似ても似つかないほど逞しくなっているはずなのに、その顔は幼い頃と重なって、ゾンの心をあたたかくも重いもので押しつぶそうとする。
深く息を吐いて、ゾンはいつもの問いを弟に投げかけた。
「……ナル。俺と一緒に草原に帰らないか」
だがこのときは弟の顔を直視せず、ただその手に手を重ねた。
ほんの少しだけ間が空いて、シーアはゆっくりと考えながら、だがはっきりと答えた。
「ごめん、兄ちゃん。アジムには帰れない」
重ねられた兄の手を、シーアは握った。
「……今の俺の居場所は、フィカさんのそばだから」
そうか、とだけゾンは呟いた。その表情はシーアからは見えず、妙な胸騒ぎがした。
「でも」
「その先は言うな、ナル」
何か言いかけた弟をゾンは厳しい声で制した。初めて聞くような兄の声に思わず黙り込んだ姿を見やってから、いつもの笑顔を見せる。
「あのエレゼンが頼りなかったら、いつでも兄ちゃんを呼べ」
夕闇に沈み始めたリムサ・ロミンサを、ゾンはオサードへと渡る船へ乗るためフェリードックへ早足で向かっていた。まだシーアが起き上がれないうちに、見送りになど来ないうちに、エオルゼアを後にするつもりだった。
本心を言えば弟を連れ帰りたい気持ちはまだ強く残っていたが、今はその時ではないと自身を納得させようとしていた。
空を見上げると番の鳥が悠然と飛んでいた。
不意に幼い日に狩りに失敗して助けられたとき、父に言われた言葉を思い出す。
「お前たちはまだ宵闇に包まれているんだ。飛べぬときは父や母を頼り止まり木にするといい。そしてやがて夜が明けたとき、己の路を見つけ飛び立っていくのだ。その時止まり木はその役目を終えるであろう」
どこかでわかっていた。弟の夜はすでに明けているのだと。彼は彼の路を進んでいるのだと。兄の庇護する役目は終わっていて、彼の行く先を変えることなど、ましてや妨げることなどしてはいけないのだと。
それでもまた、疲れ果てたときは、路を見失ったときは止まり木となれればよい。
船上からリムサ・ロミンサを振り返ると、遠くに灯りが見えた。
いくつもの小さな灯が揺れて煙がたなびいている。
きっとそこには人々の穏やかな生活があるのだ。たくさんの食事が作られ、会話が絶えず、笑っている者もいるだろう。
ゾンはそう思った。――ようやくそう思えた。
完
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