「ナル、俺とアジムに帰ろう」
再会してから、ゾンはふたりの住処へと転がり込んでいた。
そしてもう何度目かになる兄のその言葉に、シーアもまた何度目かの困ったような笑顔を返した。
「兄ちゃん、俺……兄ちゃんと一緒に暮らせたら、ほんとに嬉しいけど。でも、まだ途中にしてることもあって……。それにフィカさんもいるし……」
シーアの言葉は歯切れが悪い。
大好きな兄の申し出はもちろん嬉しくないはずはない。養父母亡き今、また家族と暮らせる日が来るなど思ってもいなかった。だが帝国との戦いはまだ終わりが見えず、暁と呼ばれるシーアが手を貸している組織のメンバーたちも粉骨砕身して活動を続けているところだ。彼らの戦いを知りながら自分だけが故郷で安穏と暮らすわけにはいかない。
そしてフィーカ。あの人と今はともに居たいと思っていた。
「あいつにお前は任せられない。あんな真っ白で小さな体で何ができる。言葉すら発せない」
「兄ちゃん……っ」
哀しみを湛えた弟の声色にゾンは俯いた。この声には、正直弱い。
しかしいつでも素直な弟がフィーカのこととなると譲らない、それが腹立たしかった。ゾンにとってエレゼン族はいつでも弟を奪っていく存在だった。あの学者のように。
幼い頃、父の手伝いを頼まれる年頃になりいつでも一緒には居られなくなったためとはいえ、弟の興味が自分以外に向けられるのが苦しかった。弟の口から、他人を頼りにする言葉が出るのが嫌だった。
「……お前に言うことではなかったな、弟よ」
否定も謝罪もせず、ただ弟の髪をなだめるようになでてゾンは部屋を出ていった。
買い出しから戻ってきたフィーカは、明かりもつけずに沈んだ様子のシーアを見かけると、そっとその隣に座った。
初めて会った日のように。
ふたりが初めて出会ったのはグリダニアの酒場であった。シーアは冒険者仲間と、フィーカは所用でグリダニアへ派遣された神殿騎士団の同僚たちとの酒盛りで、当然面識も交流もなかった。彼らは各々、酒場の中央と端に陣取ってやれあっちの集団はうるさいだの陰気だのと仲間内で揶揄しているだけであった。
シーアはよく話し笑う陽気な酒飲みではあったが、ふとひとりになりたがる癖があった。今日も理由を付けて仲間うちを離れ、煙草を手にしてテラスへと向かった。目の前に広がる翡翠湖からの風が心地よい。
風に揺れる前髪を指に絡ませ遊んでいると、人の気配がした。
仲間が迎えにでも来たのかと思って振り向くと、そこにいるのはエレゼンの青年だった。ではあの中央にいた連中のお仲間だろうかと思いながら会釈すると、相手も会釈を返してきた。
第一印象は、互いにその瞳。
青年……フィーカは紅く煌めくシーアの瞳を「宝石のように綺麗だ」と思った。
シーアはフィーカの透明感のある薄荷色の瞳を「若葉のように美しい」と感じた。
その印象がよかったのか、それとも挨拶しておいて場所を変えるのは少々決まりが悪かったのか、フィーカはシーアの隣へとそっと座った。無言で煙草をすすめると、フィーカは小さく首を振って断った。
「ここは風が気持ちいいですね」
とりあえず話しかけてみたシーアだが返事はない、見ると相手は困ったような笑顔を浮かべ、喉の奥から絞り出すような、言葉にならぬかすれた声とともに自身の口を指してみせた。
瞬時に事情を察してシーアは相手を制してみせた。生まれつきか、ケガや病気か理由はわからないが、おそらく彼は話すことができないのだろうと。
「……では、よければ俺の話を聞いてください」
相手が話せないのであれば、自分が話せばいいだけだ。シーアは当たり前のようにそう考えた。
だがフィーカはその切り返しが意外であった。話せないとわかると途端に侮る相手もいたし、大抵はひどく気を遣われ、なのにその原因を知りたがった。
最も辟易したのは喉の傷痕を見せて欲しいと言われることだった。そもそも見世物ではないし、見せれば大仰に憐れまれ同情される。確かに音声で意思を伝えることは難しいが、それ以外の行動には何も困っていない。それを赤子のようになにもできないと捉えられてあれこれと気遣われるのはただ侮られるよりもよほど悔しいものだった。
こんな何も特別ではないように、ただ話を聞いてくれと言われたのは初めてだ。
フィーカはちょっとだけ驚いた顔をしてから、嬉しそうにうなずいた。
話自体は他愛のないもので、お互い内容もよく覚えてはいない。ただシーアが話し、フィーカは時折うなずいたり首を振ったり、肩を震わせて笑ったりした。
話しながらシーアは驚いていた。言葉はたしかに重要なものだが、話せないということはちょっとした”違い”でしかないのだと感じた。それほどまでに、ふたりはちゃんと『会話』をしていた。
それにシーアにとって、茶々を入れずにただ聞いてくれる相手がいるというのは新鮮で心地よい体験だった。気さくではあるがその分からかわれやすいシーアは、相手の期待に応える話をしようと頑張りすぎてしまうきらいがあったが、この相手にはそういう気負いは無用だった。
それは決して長くはないが、互いにとても印象的で心地のよい時間だった。だが名前も教え合わないまま、ふたりは仲間に呼ばれ手を振って別れた。
二度目に出会ったのは戦場だった。
傭兵部隊のひとりとして参戦したシーアと、正規の騎士団として傭兵たちを指揮する隊の補佐にあたっていたフィーカ。グリダニアでは所属はまったくわからなかった上に、寒気に備えて互いに顔を覆う兜姿でもあり、最初は互いにまったく気がついていなかった。
このような合同作戦は珍しいものであったが、イシュガルドが開かれ始めた今、竜との戦いと知る人ぞ知る内乱で疲弊した騎士団の代わりに傭兵の口が出始めたのであった。
邪竜の残存兵力との戦いは激しいものであった。
何より悪天候が敵に味方していた。傭兵部隊は作戦のため弧を描くような長い陣形であったが、途中で猛吹雪に見舞われ一部が雪に巻かれて本隊を見失ってしまったのだ。風が吹き付けるたびに1m先も見えなくなり、撤退の太鼓も風の音に負けてしまう。
「おい、後ろが来てねえッ」
「くそ、なんだこの風……」
傭兵の多くはエオルゼアやその周辺地域の出身で、そもそもこんな寒さに慣れていなかった。ほとんど防寒具を備えずに来た者もあるほどだ。もともと外部の人間を下に身がちなイシュガルド騎士たちは彼ら傭兵を歓迎していなかったので、そういったことに注意を喚起する者もなかった。とはいえ、この時期は本来ここまでの荒天はないはずで神殿騎士たちにとっても思いも寄らない事態であった。
凍てつく鎧に素手で触れてしまい騒ぐ者もあれば、体温が下がりすぎて奇声を発し出す者もある。突然の過酷な状況に隊は浮き足だった。
だが傭兵の中でも何度も死線をくぐってきた歴戦の冒険者、一部では『英雄』と呼ばれる者たちが初めにその異常さに気づいた。
先ほどから手元の天球儀と空をかわるがわる眺めていた術師が、ぽつりと呟く。彼は空を見る生業から、天候・気候の予測にも優れていた。
「本来、今日の風は東南から西へ抜けていくはずだった。外れるのはおかしくはないが、この風は”我々に向かって”吹いている」
「つまり、こいつは俺たちを追い出すために吹いてるってわけか」
「ああ……この吹雪、魔法じゃないか」
その言葉で、シーアも敵の正体を予測した。
「ってことは竜か精霊が近くにいるのか」
竜の中には強大な魔法を使う上位のものもおり、また彼らが付き従える精霊もまた魔法の使い手であった。
天候は神の与える賜であり試練である。故にそれを耐えることはできても抑止することはできないが、これが敵の攻撃だというのならそこには必ず意図があり、隙がある。
「吹雪を見定めろ!『始点』があるはずだ!」
その声を受け、動ける者が目をこらす。
「いたぞ!あそこだ、氷竜!」
「精霊もいる、気をつけろ!」
敵がいるなら倒せばいい。明確な目標を得て傭兵たちの士気は一気に高まった。
シーアも斧を構えた。報償狙いか、あるいはより強敵を倒したいという思いからか、竜へと向かう者が多いのを見て、あえてその脇の精霊を狙っていく。
地味な戦いではあるが、魔法を使う敵を無視しては瓦解する可能性がある。
すると、同じ考えなのかその横にひとりの騎士が立った。長剣と盾を駆使して氷角をへし折り、精霊がその身体を震わせ人とは違う”言葉”を放つのを察知し的確に魔法詠唱を阻止する。できる人だ、と直感的に思う。そして扱う得物こそ違うが、隣で戦っていて「やりやすい」と感じた。
ふたりが戦っているのを見て加勢する者もあり、少しずつ精霊の数を減らしていく。とともにあれほどに激しかった吹雪が弱まってきた。
やがて、氷竜の荒々しい最期の咆哮が響くと急速に辺りから冷気が消え、頭上にはいつの間にか顔を出した太陽が輝いていた。
「やったぜ!」
歓声をあげて竜の死骸へと集まる傭兵たちの中、シーアとともに戦っていた騎士は何かを探すように周囲を見回していた。そして剣を掲げある方向を指して先導するように歩き出す。それでシーアもはっとした。はぐれた仲間たちを探さねば。彼らは長時間吹雪の中を彷徨ったはずで、一刻を争う事態になっているかもしれないのだ。
すぐに捜索に向かった甲斐もあり、多くの者が無事救出された。
猛者が多いとはいえ所詮は傭兵は寄せ集めの部隊だ。こういったときは正規軍からは忘れられがちである。特にイシュガルドはその風潮が強い。それ故、その冷静で律儀な姿は傭兵たちにも印象に残った。
「騎士殿、先ほどはありがとうございました」
作戦終了後、負傷者の対応などに追われようやく一息をついたところに”彼”であろう背姿を見かけ、シーアは一言礼を言おうと駆け寄った。
そして互いに兜のバイザーを上げたときに、『宝石』と『若葉』、その瞳であの夜言葉を交わした相手だと気づいたのだ。
「あなたは……神殿騎士でいらしたんですね。お元気そうで何より」
激戦の後とも思えないのどかな物言いに、騎士・フィーカは表情をほころばせた。
あの晩と変わらない、あの人だ、と。
数日後、フィーカの元にシーアからの手紙が届いた。
娯楽が少ないせいか他人の事情に興味津々の団員たちは、初めて届いたフィーカ個人宛の手紙について、その送り主との関係を探ろうとひとしきり盛り上がったものだった。
実際その内容は長剣の扱いについての質問と現在アラミゴを旅していることだけを記しており、あまりにも色気のないものだった。だがフィーカは真剣に返事を書き、アラミゴのことや冒険のことを問うて手紙を送った。
しばらくの間ふたりの手紙のやりとりは続き、少しずつ親しげな内容となって、やがてふたりはともに旅をするようになり今の関係へ至る。
親しい間柄となってからはそれなりの時間を一緒に過ごしているが、いつも明るくおおらかなシーアがこんなに深く沈む姿を見るのは初めてであった。理由があの兄であろうことは一目瞭然だ。
「フィカさん……」
シーアは暗がりで顔を上げ、また俯いた。フィーカはただ、その角をなでる。
実際のところ、フィーカとゾンの折り合いはよくない。というよりもシーアを挟んでの対立関係にあるいうのが近かった。ゾンはまるで弟を奪った、あるいは誑かしたとでも言うようにフィーカへの敵対心を隠さなかったし、フィーカもまた相棒を年端もいかない子どものように扱い甘やかすゾンを快く思わなかった。
―― シーアさんはちゃんとした大人なのに。
そこまで考えてからフィーカは内心で首を振った。わかっている。それだけではない。相手を快く思えない一番の理由は、シーアが実の家族を取って自分のそばを去るのが怖いからだ。そして長い間死んだと思っていた家族が再会して、一緒に暮らす。それは素晴らしいことであるはずなのに、喜ばしく思えない自分に憤りすら覚えてしまうからだ。
「フィカさんは……これからも俺と一緒に居たいと、思っていますか」
突然のシーアの問いに、ひゅ……とフィーカは息を飲んだ。暗い部屋でよかった、とフィーカは思う。なんとなく今の顔は見られたくない。
―― あなたはどうですか、僕と一緒に居たいですか。
そう聞きたくてたまらなかった。最初に家に招いてくれたときのように満面の笑みで「ずっと一緒に居てください」と言う姿を見て安心したかった。
何度も声にならない声を出しかけては止め、数十分にも感じるような長い沈黙が続いた。シーアはじっと、身じろぎもせずフィーカの反応を待っている。
フィーカはふっと小さく息を吐いた。シーアの本心を知りたいけれど今ばかりは自分の気持ちを素直に伝えるべきだと、なぜだか強くそう思った。
やがてシーアの手を取り、その手のひらに指先で文字を書いた。
『僕はここに居たい』
ここ、ともう一度書いてシーアの肩にそっと額を寄せた。