夜の終わり

「お前の顔見ると萎えんだよ」
自分にのしかかっている綺麗な顔立ちの男が冷たくそう言い放つのを聞いて、胸がきしむように痛んだ。色素の薄い肌も、髪も瞳も、すべてが自分を拒んでいるように感じた。
そしてそこにいる男とは別の名を呼んだ。

――やめてよ、サーシス。そんなこと言わないで。

自分の小さな悲鳴で目が覚めた。
部屋には既に清浄な朝の光が入り込んでいた。とはいってもこの館は妙に窓が少なく、個室には高い位置に人はとても通れないような小さな窓がある限り。サーシスの部屋にはその小さな窓すらないことをジンジャーは知っている。
跳ねるように起き上がると傍らの小テーブルにある灯りを点け、鏡を覗き込んだ。
陶芸家が端正にかたどったような輪郭、きめの細かい白い肌、綺麗なアーモンド型の目に踊る菫色の瞳、形の良い小ぶりな鼻、微笑みを湛えたような艶のある唇、そこに華やかなピンクの髪と眉が彩を添えた美しくも愛らしい青年が映っている。
鏡の中にはまるで花が咲いているようだった。
「今日も可愛いよね。そうだよ、これが僕だ」
鏡の中の自分の頬を撫で、にこりと微笑みかけた。花が揺れる。

――もう、あの頃の僕はいないんだ。

それから、自分の指先の古い指輪に視線を落とした。

――もう、いないんだ。

ジンジャーはウルダハ郊外の育ちである。生まれはわからなかった。親の顔も覚えていない。
「お前は捨てられてたんだ、まるで要らないクズ野菜でも捨てるみてぇにな」
と、育ての親は言った。その時近くにジンジャーの箱が落ちていたのでこう名付けたという。安直な名前だがそれが彼の出生のすべてだった。
そこはもと双剣士くずれの男が作った小さな私設ギルドで、主にウルダハの平民階級が仕事を持ち込む便利屋のようなものだった。単なる作業手伝いのようなことも請け負っていたが、運び屋や嫌がらせのような仕事も多く中には浮気調査のようなものもあった。
ギルド頭は時折ジンジャーのように捨てられた子どもや孤児を拾ってきて、仕事の手伝いとして使っていた。彼らはコストを重視したが根は悪人でなく虐待と言うほどひどい仕打ちもせず、賃金こそないが最低限の食事や寝床は与えられた。とはいえきちんとした育児や教育ができるわけもなく多くの子どもは病気や仕事上の事故などで消えていった。
だがジンジャーは生き延びた。
生来身体能力が高めで丈夫、真面目で物覚えもよく教え込まれた双剣の技も確実に身に着けていった。ただ一点見てくれがどうにも頭の気に入らなかったようで、頭はジンジャーをそれなりに可愛がってはいたもののいつも「お前はほんとにみっともねえな」と言っていたものだ。
自分はみっともないのだという想いがジンジャー自身にも染みついていた。
それゆえジンジャーは綺麗な人が好きだった。容姿が美しいだけでとても上等な人間に思えたのだ。暇な時は街に出て容姿の良い人、とくに美しい男を探して過ごすのが楽しみだった。

ある時期極端に仕事が減ったことによりギルドは少しずつ怪しげな仕事をするようになり、ついには人に危害を加えるような内容も請け負うようになった。ジンジャーもまだ子どもながらその手伝いや後処理をさせられた。
だが危険な仕事を受けることが軌道に乗ると今度は羽振りがよくなり、ギルドにはにわかに人が増えた。
ジンジャーが11歳を超えた頃、ヒサメという男がギルドに入ってきた。
東方の忍びであるということで客人格で迎えられていたそのアウラ・レンの男は、色素が薄く水色の髪と酷薄そうな黄玉の瞳を持っていた。怜悧で美しいその男にジンジャーは一目で心奪われた。
その上ヒサメは強かった。
ドマのある流派で忍びとして育ったというヒサメだが、帝国との戦いのどさくさに紛れて里を抜けこのエオルゼアに流れてきた、いわゆる抜け忍であった。
「里のために命を懸けるなんざばかばかしい。俺はこの技で気楽に楽しく生きていくんだよ」
そう言い放ち東方の秘術を密かに切り売りすることで生計を立てていたが、そのスタイルすら幼いジンジャーには魅力的に思えた。
「なんてかっこいい人なんだろう」
ヒサメがギルドに迎えられてしばらくしてからジンジャーは彼から忍術を学び始めた。当初ヒサメは単なる暇つぶしのつもりだったようだが、ジンジャーはヒサメの傍に居られることが嬉しく修行に励んだ。ヒサメは奔放な男であったが指導は下手ではなかったし、双剣と扱いの基本が似ていたこともあって憶えもよく、そのことはヒサメを満足させたようだった。
「お前、よく頑張るな。そんなに忍術が好きか?」
「違うんです。その、僕は、僕はあなたが好きなんです……」
何の気もなくそう問われて、咄嗟にジンジャーは本音を漏らしてしまった。頬を紅潮させ、熱の込もった瞳で師を見上げる。
「俺が好き?……はっは、お前じゃなあ」
ヒサメはそう言って笑うとジンジャーの髪をぐしゃぐしゃとかき回し、少年は無性に恥ずかしくなってうつむいたものだった。
それ以降もふたりの関係性は変わることはなかった。もちろんヒサメがジンジャーに好意を寄せる様子はなく、ジンジャーも変わらずヒサメを一方的に慕ったまま師事し小間使いのように身の回りの世話もこなした。

その関係性が劇的に変わったのはもっと後のことだった。
相変わらずギルドの仕事がないときは忍術修行かヒサメの世話にかかりっきりだったジンジャーだが、ある時期から少しずつヒサメの雰囲気が変わってきたように感じていた。どこか前よりも苛立った風情で、粗暴な言葉が増えた。元々手は出る性質であったがそれが多くなった。何かそら恐ろしさが増していたが、ジンジャーにはどうすることもできなかった。
ある夜、遅くに帰ってきたヒサメに呼び出された。ひどく興奮した様子で上機嫌なヒサメに妙な胸騒ぎがしながらも茶を淹れようとしていたところ突如後ろから抱き着かれた。
「おい、ジンジャー。お前俺のこと好きなんだろ? なあ、今日は忍術よりいいこと教えてやるよ」
憧れの男にそう耳元で囁やかれ、乱暴に衣服の下をまさぐられてジンジャーの心はかき乱された。今日のヒサメは明らかにおかしい。少年の心は言い知れぬ不安感でいっぱいになったが、何にしてもジンジャーに拒否権などなかった。
その晩、まだ15になったばかりだったジンジャーは男に抱かれた。ヒサメの好きなように体を弄られ昂ぶりのまま犯されただけとも言える。
行為の後疲労で横たわるジンジャーにヒサメは言い放った。
「こっちの具合は案外悪くないじゃねぇか。気が向いたらまた抱いてやるよ」
痛みが染みる重い体を抱えながら、師の腰に大きく入った刺青をぼんやりと眺めた。白い肌をなまめかしく伸びた触手で這うあれはなんだったろう。海の生物だと言っていたような気がする、たしか猛毒がある……と。
――まるで今の先生みたいだ……
だがジンジャーはこのことを育ての親に報告することも、ヒサメから離れることもなかった。こんな形であったとしても相手にして貰えたのが嬉しくてたまらなかったのだ。自分がヒサメにとって少しでも特別な存在であると思えたから。
とはいえヒサメにとってジンジャーは都合のいい存在でしかなかった。大抵はおかしなほど機嫌がよく興奮している様子のときに突然一方的に求められたが、時には単なるストレスのはけ口としても抱かれた。優しい声は滅多にかけられず時には手をあげた。特に関係を持ってからはジンジャーの容姿がどうにも気に入らないようで顔を見せるなと日ごろから言うようになった。
「お前の顔見ると萎えんだよ」
そう言って弟子の顔を強くベッドに押し付けながら行為を続けたこともあった。

それでもジンジャーはヒサメを慕い続けた。抱かれること自体は嫌ではなかったし、何よりヒサメが忍術の腕については認めてくれていたからだ。だからヒサメがギルドを去るときには育ての親を捨てて彼について行く決心をした。
以前より金遣いが荒くなったヒサメはもっとよい稼ぎ口が欲しくなったのと、ジンジャーがそこそこうまく育ったことに満足したこともあり自分で忍術の道場を開きそこで弟子を取りながら仕事を受けることにしたのだ。
ジンジャーはその手伝いと道場へ来る仕事に従事しつつも、さらに道場へ金銭を納めることを要求されたため一般的な冒険者ギルドを介しても仕事を請け負うようになった。そしてそこで自分が別に特別に優れた腕を持っているわけではないことを思い知った。普通の仕事をこなすことは十分にできたが、世間にはいくらでも自分より優秀な使い手がいたのだ。
その頃、ヒサメの様子がおかしい理由も知った。薬物だった。
ジンジャーにも隠すことがなくなり、最近ではその準備すらさせるようになってきていた。
思えば自分を抱いたあの頃から時折おかしな言動になることがあり、原因はこれだったのだと。普段のヒサメの能力にも衰えを感じて薬物をやめて欲しいと思ったが、ジンジャーの言うことなど聞くわけもなかった。

追い打ちをかけるように弟弟子にも優秀な人物が現れ、利発で見た目も可愛いその弟子をヒサメは大変可愛がるようになった。
自分にも売りを作らねばならないとジンジャーは焦った。どんな扱いであっても自分が一番ヒサメに近いという安心感も失い、もっとヒサメに気に入られなくてはという想いが日に日に強くなっていった。
ひたすら基本の技を磨き日々道具を手入れし、さらに学問にも手を出した。励んだ分の結果も出したが、ヒサメがジンジャーに触れることは一切なくなった。それどころか、明らかに顔を見せることすら減らされていた。
「先生、どうして僕を避けるんですか。僕は、先生のためならなんだって……」
「お前は本当に鬱陶しいな」
縋るように問うたジンジャーにヒサメは冷たく言い放った。
「鬱陶しいんだよ。全部俺のためっていうその態度が。いつだって俺の顔色を窺っておどおどしてるのも、全部!」
それでもここに置いてやってるんだ、俺の役に立てよとまで言われたが、ヒサメの元を離れるという選択肢はいまだジンジャーの中に生まれることはなくただ涙を堪えるしかなかった。
そんな風になにもかも、彼の手をすり抜けていくように思えた。
「みんな、僕が”みっともない”からだ」
ジンジャーは苦しかった。何か一つでも自信を持てるものが欲しかった。

しかしそんなある日のことだった。
「先生はまだか?」
いつも町工房の始業の鐘が鳴る頃には愛弟子を伴って道場へ姿を現すヒサメが、その日はいつまでたっても姿を見せなかった。
――まさか……ふたりでまだ楽しんでる、なんてことないよね。
「僕が様子を見てくるよ」
最近ではヒサメはだいぶ気難しく気性が荒くなっていたため、他の弟子たちは頼んだとばかりに頷いた。お気に入りの他の弟子に心が移っているのは誰の眼にも確かであったが、それでもジンジャーは一番弟子であり、ヒサメに近しいものであった。
腹にざわつくような黒い気持ちを抱えながらジンジャーは師の部屋を訪ねた。中は静まり返っていて外から呼びかけてもなんの反応もない。しかし扉の鍵が壊れているのに気づくとにわかに全身が緊張した。
用心深く音を消して扉を開き、警戒しながら部屋に足を踏み入れると奥の部屋のベッドの上にふたりの人影を見つけた。
「先生……」
ヒサメは若者に覆いかぶさるようにして数か所から血を流していた。その下ではなにかに怯えたような表情の弟弟子も。ふたりともひどい傷と出血量で、既に呼吸はないようだった。
「死んでる……ね……」
改めて様子を見てジンジャーは人知れず呟いた。もちろんショックを受けてはいるが死体は見慣れていたし、あまりにも突然のあっけない終わりで実感がわかなく、死んでいるとわかったときはどこかほっとした気持ちもあった。
そばにはふたり分の薬物接種用の器具があり、それが使用済みなことも確認できた。
ヒサメが常用しつつ一度も自分に勧めたことがなかった薬を、この若者とは分かち合っていた。それはジンジャーに奇妙な気持ちを抱かせた。ジンジャーはヒサメを壊しつつあった薬物を憎んでいた。おそらくお前になど勿体無いということで勧められなかったのだろうが、それは幸いなことであったに違いない。
ヒサメと共に最期を迎えたのが自分でないのが心底悲しかったが、自分でないことに心底安心もした。どちらにも振りきれない気持ちのせいか、何が起こったのか理解できないような麻痺した感覚のまま、ジンジャーは部屋の様子を伺った。
ベッドが多量の血で染まり、天井と壁に返り血が飛んでいる以外は争った形跡も荒らされた形跡もなくいつも通りだった。油断しているところを一撃……といったところだろうか。さもありなん、薬物に溺れたヒサメは気配を察知する能力もすっかり衰えていた。
ジンジャーは素早く壁の一部に触れ、柱の影の機材を操作してそこにある隠し扉を開ける。そこには乱雑に金品や宝物が収められていた。以前ジンジャーに整理をさせて居た頃から開け方も場所も変わっていない。ヒサメはジンジャーを信頼していたというよりも侮っていたのだろう。
強盗などではなく、目立ちすぎてついに里の者に見つかったか、彼の存在が都合が悪い何らかの組織に消されたのかもしれなかった。どちらでもあり得るが手口からは後者ではないかとジンジャーは考えた。そもそもこの世には思った以上に暗殺依頼が多いのだ。
逡巡したがジンジャーは宝石類のうち特に値打ちがありそうなものを数個選んで服の隠しポケットへと突っ込んだ。ついでにヒサメの指にあった愛用の指輪を外し、そちらもまたポケットへとそっと押し込んだ。
――これは僕の取り分だ。このくらい貰っていいはずだ。
それからひとつ息を吐くと、さも驚き悲しんだ様子で他の弟子たちの元へ駆け込んだのだった。